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広島なぎさ高校所属でのなぎなた インターハイ出場



なぎなたを始めたきっかけとこれまでの戦績 

 

幼稚園の頃に水戸黄門の助さん格さんに憧れて、剣道を習いたいと両親にお願いをしたことがきっかけです。剣道は危ないということでなぎなたを始めました。稽古を重ねていくうちに、友達と一緒になぎなたをすることがとても楽しくなり、どんどん夢中になっていきました。中学校では3年間全国大会に出場してベスト16が最高でしたが、小学校の頃には全国2位に2度なっています。



なぎなた部がない広島なぎさ高校で、なぎなたを続けていくことへの不安

 

他校に行くことは全く考えませんでした。私自身がなぎさ公園小学校出身ということもあり、周りのなぎなた関係の方々も、私はそのまま広島なぎさ高校へ進学するのだろうと思っていたようです。何よりも先生方に理解していただき、環境に恵まれていたことが、広島なぎさ高校でなぎなたをやろうと思えた一番の理由です。そして、「広島なぎさでインターハイ出場」をしたいと思うようになりました。どこの場所でも自分次第で高みを目指せると思っていたので不安はありませんでした。



剣道部のなぎなた部門的な活動となった、

広島なぎさでの練習環境について

 

基本を振り返ることができる環境だったと思います。外部での稽古だと試合形式の練習も行うため、意外に基本をしっかり振り返る時間が取れなかったりするのですが、広島なぎさでの練習は基本の型に時間を割くことができたので、とても助かりました。



八木さんにとっての1つ上の河野葵さんの存在と、高校1年生で臨んだインターハイについて

 

1人で活動をすると出場できる種目も限られることもあり、昔から剣道をやっていた河野さんになぎなたの話をしたら一緒にやっていただけるようになりました。私が高校1年生のときに河野さんと一緒にインターハイへ出場することができ、とても嬉しかったことを覚えています。しかし、嬉しさ以上に達成感がありました。小学校や中学校のときに出た全国大会とは重みの違う、インターハイという夢の舞台に出られるという感情が素直にあふれ出ました。



新型コロナウイルスの影響で中止になった昨年のインターハイについて

 

正直、悔しかったです。誰に私の怒りをぶつければいいのか、と思っていました。しかし、この悔しさや怒りはみんな同じだと思い、今は力をためる時だと前向きに考え、次の大会に向けて努力しないといけないと自分に言い聞かせていました。



今年のインターハイ予選(県総体)を振り返って

 

新型コロナウイルスの影響で大会自体が少なくなっていたので、まずはなぎなたを楽しみたいと思っていました。なぎなたの競技人口は少ないので、多くの人と顔なじみになります。試合とはいえ会場はアットホームな雰囲気もあるので、仲間たちと試合ができることを楽しみました。また、新型コロナウイルスの影響で、当初は県総体を開催できる会場がなかったのですが、急遽開催を受け入れて下さった会場の方々に感謝の気持ちでいっぱいでした。私にとっては最後のインターハイですし、コロナ禍でいろいろあった中でのインターハイ出場を決めることができ、ひとまずホッとしました。



インターハイへの意気込みを

 

コロナ禍の厳しい状況の中で、かつ東京オリンピックが開かれることによって会場確保が難しかった中でインターハイを開催してくださることへの感謝の気持ちは絶対に忘れません。また、最後のインターハイなので、しっかりと準備をして悔いのないよう、実力を発揮できるように頑張りたいです。2年越しの念願のインターハイで、全国にいる仲間と思い出を作りたいと思っています。


※取材はインターハイ出場前に行いました。

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