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教員として母校に帰ってきて…



はじめに

 

はじめまして。このたび、広島なぎさ中学校・高等学校に就任いたしました岩本優一です。教科は国語となります。タイトルにもありますが、本校の卒業生です。思えば卒業してからすでに10年の月日が経っています。そこで非常に恥ずかしくはありますが、少しく当時を振り返っていこうと思います。



なぎさ中高の生徒時代はどんな生徒でしたか?

 

結論から申しますと、「先生方にとてもお世話になった」生徒でした。朝は遅刻間際、日中は友人とふざけあう、放課後は部活に明け暮れるといった、学生の本分である勉強を、文字通り「べ」の字も知らないほどに距離を置いていました。当然、先生方のお手を煩わせておりました。ですが、たくさん迷惑をかけたにもかかわらず、いつでも親しみやすく声をかけてくださり、そして人としての指針を厳しく示してくれました。今の私があるのは間違いなく「なぎさ」での六年間があったからです。毎日の挨拶、授業始まりの瞑目・姿勢、間違えれば自分から反省できるような指導、また、授業や行事では、自然の中に身を任せたり、夜通し歩き続けたり、さまざまな校外合宿で級友と同じ釜の飯を食ったり、人間としての強度を上げられるような特色が多々見られます。だから、この中でともに過ごしてきた友人とは今もなお仲がいいです。そしてそれは私だけではなく、同級生の多く、さらには先輩方後輩たちも同じのようです。最近聞いた話では、サッカー部や野球部だった方々を中心に野球チームを作って活動しているとのことです。このように思い起こせば枚挙にいとまがありません。



教員を目指すきっかけ

 

教員になった直接的なきっかけは、大学および大学院でお世話になった恩師のひと言です。それは「常に『学び』続けられる環境に身を投じなさい」というものでした。正直な話をすると、教育実習に手ごたえを感じられなかったので、自分に教員になる資格はあるのかと自問自答をしておりました。ですが、この一言をいただいたことで決意し、まだまだ未熟ではありますが現在に至っております。このように、教員になろうと思ったきっかけはひとえに恩師の言葉ですが、国語科教員になった経緯としては本校在籍時に国語の片嶋先生が目をかけてくださったからです。先にも述べたように、勉強を全くしていなかった私は当然のことながら国語の成績も悪く、特に古典はからっきしでした。片嶋先生の授業は、丁寧な本文の読み方をはじめ、本分に関連した飛び込み教材、ご専門の中国学を交えた話など、当時の私には新鮮でとても面白く感じました。そこから古典に興味を持ち、進学先も文学部中国文学科を専攻しました。つまり、「なぎさ」で片嶋先生と出会ったから、大学で恩師と出会え、「広島なぎさ中学校・高等学校」の教壇にも立てることになったのです。その片嶋先生はというと、以前にも増して勢い盛んになっておられ、ともに働くことができて大変嬉しく思います。



母校の教壇に立つことへの期待や不安

 

母校の教壇に立つということは、片嶋先生だけではなく、私を知る先生方に囲まれるということです。しかしながらこれは、教師の立場でありながら生徒だったころの意識を強く有することができます。したがって、「学び」の意識をより高く持ち続けられる環境に身を置けることとなります。それを日々是好日ではないですが積み重ねていけば、よい授業を展開でき、生徒たちのためになると信じています。



最後に意気込みを

 

「後生畏るべし」といいます。生徒たちは無限の可能性を秘めています。ただし、それには「期限」があります。私も含めたいったいいくらの大人が「期限」によって苦い思いをしてきたでしょうか。生徒たちには一人でもそのような思いを抱いてほしくありません。そのため、どんな些細なことでも吸収していくこの時期に、たくさんの「好き」を発見し、少しでも早く志を立ててもらうべく接していければと思います。

そして願はくは、私が次の「私」につながるようなきっかけになればこれ幸いです。

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